『落語家 古今亭右朝の形見!寄席文字家元橘右近(二代目集古庵)作/橘右近 志ん朝 右朝 馬治の4連千社札額と真打昇進口上書(1988)』はセカイモンでc1735b0から出品され、342の入札を集めて02月26日 15時 3分に、22800円で落札されました。即決価格は22800円でした。決済方法はに対応。福島県からの発送料は落札者が負担しました。PRオプションはストア、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、即買でした。
稀少・絶版!『東都噺家系図』橘左近 筑摩書房 1999※寄席文字 三遊亭圓朝 圓生 圓右 圓遊 橘家圓喬 柳家小さん 三笑亭可楽 春風亭柳橋
¥ 5780
『国立劇場上演資料集』文楽公演、文楽鑑賞教室 415~656回(103冊) 1999.12~2021.2 日本芸術文化振興会
¥ 18000
B65-037 芸双書 1 いろどる 色物の世界
¥ 7914
【5冊セット】東京人「世紀末は落語で笑え!」「落語いいねぇ!」「志ん生 馬生 志ん朝」「落語が、来てる!」「三遊亭円朝」立川談志
¥ 5525
B65-038 芸双書 2 さすらう サーカスの世界
¥ 7914
B65-040 芸双書 4 めくらます 手品の世界
¥ 7914
【落語】桂枝雀 DVD CD セット売り/桂枝雀 名演集 DVDBOOK 第1シリーズ 第2シリーズ 10冊 10枚セット /枝雀落語大全 CD 10,15,22,36 計4枚
¥ 9000
正岡蓉・柳家金語楼/漫談的な・そして餘りに漫談的な!人を喰っている話/昭和5年★寄席演芸落語家噺家★正岡容正岡いるる
¥ 9600
初代春團治大全集 第1~10集 (カセットテープ)
¥ 6103
能楽囃子方五十年 亀井忠雄聞き書き◆亀井忠雄、土屋恵一郎、山中玲子、岩波書店、2003年/N832
¥ 5100
B65-046 芸双書 10 かぶく 大衆劇団の世界
¥ 7914
比婆荒神神楽 重要無形民俗文化財◆東城町教育委員会、東城町文化財協会、昭和57年/T482
¥ 9600
22)歌舞伎年表 1~8巻 伊藤敏郎 (00XE30D
¥ 7650
DVD 笑福亭仁鶴 豪華記念BOX/吉本興業株式会社編(著者)
¥ 8580
一龍斎貞丈(五代目)原稿「題未定」/ペン書400字詰9枚★寄席演芸講談本牧亭講釈師柳下政雄
¥ 7650
雅楽壱具 林陽一 東儀俊美 東京書籍 2002年 【50】
¥ 5517
「謡言粗志 ― 翻刻と校異― 上下揃 金沢市立図書館蔵」金沢市教育委員会・金沢古典文学研究会 金沢市 平成元年 27㎝ 状態良好 箱有
¥ 6800
和本・絵本浅草霊験記(全10冊)/速水春暁画/文化3年★山城屋佐兵衛、江戸東京金龍山浅草寺
¥ 17670
【2冊】和本「舞楽図 右・左」1905年(明治38年)◎彩色木版画 舞楽面 高島千春 北爪有郷 吉川弘文館
¥ 18000
落語家手拭い★三代目林家染丸(染語楼改め、大橋駒次郎)★昭和28年★寄席演芸上方噺家手ぬぐい
¥ 9000
B57-132 NHK 日本の伝統芸能 能楽 文楽 歌舞伎 日本舞踊 鑑賞入門
¥ 6444
(古本)地域住宅工房のネットワーク 住まいから町へ、町から住まいへ 大野勝彦 彰国社 AO5305 19880610発行
¥ 5131
大本教三代教主 出口直日★出口直日作品集 陶芸篇 ★ 第1-3集(3冊)です。 ◆ 限定1800部の内第 1296 番◆
¥ 6630
日本郵船船舶100年史
¥ 9000
ケーナ教則本 美しいメロディー アンデスの音楽27曲
¥ 8820
リピーター様 お客です。
¥ 9000
ヴァリアブルファイター・マスターファイル VF-31 ジークフリード
¥ 7820
オークファンの無料会員に登録すれば
一度検索した商品をお気に入り登録可能。
マイブックマーク機能で
いつでもすぐに登録した商品を
見返すことができます。
既に会員の方はこちらからログインをお願いいたします
「同じ商品を出品する」機能のご利用には
オークファン会員登録が必要です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額8,800円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
オークションで稼ぐための人気機能!
「期間おまとめ検索」を使えば、複数月をまたいだ指定期間の相場検索が可能です。レアな商品の相場や過去の出品数をまとめて確認できます。
さらに、オークファンプレミアムに登録すると最大過去10年分の相場データが月1,200回まで閲覧可能です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額2,200円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
橘右近・古今亭志ん朝・右朝・金原亭馬治の四連千社札額
と「右朝真打昇進口上書のセットである。故人からは右近の
作と聞いている。額の大きさは、縦23・5×横31・5セ
ンチ。中の白紙の台紙は、縦16・5×横24・5センチ。
さらにその中の千社札一枚の大きさは縦14・5センチ×4
・4センチである。
右朝の名より、志ん八の方が妙に懐かしい! 私は若い
頃、「落語家になって、志ん朝師匠の弟子になって本望で
すか」と、志ん八に聞いた。「本当に好きなことは、商売
にしちゃ駄目だよ」と、彼はポツりと言った。あの時はそ
の真意がわからなかった。落語と寄席文字の二刀流を、流
暢にこなしていた志ん八だった。自らの筆でしたためため
くりを披露し、落語を熱ぼく語る姿からは、その労苦を垣
間見ることはできなかった。だが、私も老齢の域に入り身
障者となった今、古今亭志ん朝と橘右近という、偉大な二
人の師匠に仕えて、さぞ気を抜く間もなく、大変だったに
ちがいないと思えるのだ・・・。
志ん八は、入門から十年を過ぎ、いくつもの落語会の賞
を総ナメするほど、確かな芸と勢いがあった。だが、真打
昇進試験で、とんでもない結果が出た。林家こぶ平(現・
正蔵)が合格したのに、私たち落語ファンばかりではなく、
席亭からも高く評価されていた志ん八が、よりによって不
合格! 言うちゃなんだが、テレビの仕事が忙しくて、寄
席の前座時代から寄席をおろそかにしていた双璧が、こぶ
平と三木助(四代目)である。そのこぶ平が志ん朝以来の
最年少真打とは、私には信じられなかった。日芸同期で落
研仲間の高田文夫が、志ん八が芸があまりに上手過ぎるの
で、噺家の道を断念したのはあまりに有名だ。家元・談志
は、こう言い放った。
「あいつ(右朝)は稽古つけた噺を、翌日には完璧にこな
す技量とセンスがあった。こぶ平は、いつまでも素人口調
が抜けず、香葉子の政治力が頼みの綱。あの人間国宝の米
朝師が、こぶ平に頼まれて稽古をつけたら、本筋をモノに
する前に、噺を勝手にいじって披露。米朝師匠から『あん
さんの好きなようにやんなはれ!』と、匙を投げられた」
寄席の席亭たちも、さすがに志ん八不合格に怒り、結局、
落語協会は追試を行い志ん八を合格させた。
落語の精進だけでも大変なのに、志ん八は寄席文字の勉
強も怠らなかった。吉川英治の『宮本武蔵』の名場面で、
武蔵が一乗寺下がり松の戦いで、一人で多数の敵と闘うう
ちに、気がついたら二刀流をモノにしていた。志ん八は噺
家になってからも、落語と寄席文字の二刀流を堅持し、人
の知らぬ所で熱心に稽古していた。昭和63年6月に真打
昇進し、同時に『右朝』という最高の名を得た。
世間では、橘右近の『右』と志ん朝の『朝』からつけら
れたと言われた。しかし、今回の出品にお付けした真打昇
進口上書を御覧頂ければ、右近の右朝へ期待は更に大きく
強かった。右近は『朝』は〝大圓朝〟に通じるとまで厳命
し、集古庵は初代・二代と噺家としては大成しなかっただ
けに、右朝へすこぶる期待してしいたのが感じる。「生や
さしい了見では困る。器用貧乏になるな!」とまで厳命し
ている。
私が駆け出しの記者だった時に、作家・開高健先生の教
えを末席から受けたことがある。先生の明言の一つに「悠
々と急げ!」という箴言がある。一方、右朝は、ややもす
ると内向的になり、ストレスを溜めに溜めた。落語しか話
題のない右朝は、時に息抜きして、無理せず生きる術をし
らなかった。深酒をはじめ、いくつもの生活習慣の乱れは
彼の肉体を知らず知らずうちに病魔が付け込んだ。声が出
なくなって、初めて医者の診察を受け肺ガンと知らされた。
平成13年3月、ハマでの落語会をハネたあと、志ん朝
夫妻、現・馬生、主催者の一行で中華街で宴が開かれた。
その日、私の愚妻も横にいたので「尻に敷かれるどころ
か土に埋められそうです・・・」と、師匠に紹介したか志ん
朝は、ニタリとした顔で「この野郎、なにノロケているん
だ!」言い放たれ、宴席で大爆笑を買ったことは、師匠と
の最後の会話になったので、よく覚えている。
この日、志ん朝は右朝の病について「実はヤバイ状況で
・・・」と声を細めた。ちなみに、右朝は翌月の29日に
遂に鬼籍の人となる。享年53歳であった。やっぱり、生
き急いだことにより、病魔の勢いを加速させたのだ。だが、
そう語った志ん朝も、幾分痩せていたが、大病が潜んでい
たいたことには誰も気づかなかった。てっきり、糖尿病の
ための節制と皆が信じて疑わなかった。そして宴席の最後
に、師匠はこう主催者に提案し閉めてくれた。
「今回は記念の節目、ほかの噺家さんたちが独演会だった
のに、あたしだけが一門会で申し訳けなかった。秋にもう
一度やりましょう」
半年後には、その志ん朝師匠も、63歳の若さであの世
に旅立っちまった。死は定めなのか。「よからんは不思議、
悪からんは一定と思え」との賢人の言葉もある。あの日か
ら20年の歳月過ぎた。実は私も、志ん朝・右朝両師と同
じ大病を患い、今や身体障害者となっても、根っからの落
語者として、昨日・今日・明日と奮闘努力している・・・。
本名は田島道寛。昭和23年11月2日東京・台東区生まれ。
三人兄弟の末で、小・中学校は国分寺市内の公立。都立武蔵
高校、日本大学の芸術学部へ進み卒業。大学では落研に所属。
右朝が会長で高田文夫副会長。ふとしたことから寄席文字宗
家橘右近の門下となり橘右朝。その後、落語家に転進し昭和
50年に志ん朝に入門し志ん八を頂戴し、同名で55年二つ
目に昇進した。
研究熱心な性格と精進の甲斐あり、国立演芸場の花形若手
演芸会新人賞銀賞、NHK新人落語コンクール最優秀賞、に
っかん飛切落語会努力賞と奨励賞、花形若手演芸会新人賞金
賞などを受賞するも、落語協会真打昇進試験では、噺家のキ
ツイ洒落で不合格となる。しかし、彼に目をかけていた寄席
の席亭たちの猛抗議もあり、昭和63年6月に真打昇進(落
語協会100人目)となり右朝を名乗る。その後も花形演芸
会の金賞や大賞に輝く、将来、古今亭を背負う逸材として期
待された。真打昇進後、新宿・末廣亭で「こぶ平・右朝二人
会」や「右朝・正朝の二朝会」などを開き精進を重ねた。今
回、ヤフオクに出品した、この額を見るたびに、志ん朝・右
朝子弟の早すぎる死残念に思うばかりである・・・。
の状態だが、とても古いものだ。なお額縁は、作品を保護する
ための廉価品なので落札された方は、お気に入らなければ、
改めて良い額縁に入れて飾って欲しい。送料は当方がサービ
ス負担します。